2/21(火) 11:00
カルチョメルカートの表と裏②
◇明け方のインターネット会談で二転三転の獲得交渉に決着
イグリ・ターレの名前を聞くと、多くの人は現役時代の彼、すなわち動きはややぎこちないが、高さと強さを備えた大型センターフォワードの姿を想像するだろう。
だが、08年夏に現役を引退した彼は、そのままラツィオのフロントに転身。クラウディオ・ロティートの片腕として、ラツィオのメルカート担当を務めている。
そのイメージは現役時代とは大きく異なる。7カ国語(ドイツ語、イタリア語、ロシア語、英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語)を自在に操るスポーツディレクターに、かつての武骨さは感じられない。
そのターレが今回の移籍交渉における主役である。
彼はモスクワに飛び、CSKA首脳陣に“誠意あるオファー”を提示した。もっとも、受け取った側の見解が割れていたため、彼はローマに戻り、その後はロシア国籍のFIFA代理人が何度もローマとモスクワ間を往復することになった。
実際、ラツィオのオファーとはどういったものだったのか?
ロティート会長とターレが本田獲得のために準備した移籍金は1100ユーロ(約11億円)と出来高の約400万ユーロ(約4億円)。これを3年間の分割で支払う、というのがラツィオ側の提示した内容である。
冬のメルカートは夏に比べて規模が小さい。6月末が決算期となるサッカークラブは、シーズン終了時点の決算状況に合わせて夏に大きな予算を組むのが普通で、冬のメルカートでの大盤振る舞いなどほとんどなく、レンタル移籍などの無難な取り引きが大半を占める。これが、冬のメルカートが「応急処置の移籍市場」と呼ばれる理由だ。
そんな中、ロティート会長が示した総額1500万ユーロ(約15億円)というオファーは、並外れたビッグディールだった。移籍期限終了後、ターレは「我々は今回のメルカートで最も高額のオファーを出したのに……」との言葉で落胆を表した。彼らにとって、CSKAがこの条件を受け入れないのは想定外のことだった。
メルカート終了を24時間後に控えた30日の夜、ロティート会長は“CSKAのある重要な人物”から、「CSKAは移籍に納得するための材料を必要としているだけで、移籍金と出来高の比率を彼らに有利な形で変えてやれば、本田の譲渡を認める」とほのめかされていた。そしてロティート会長は、明け方の4時にモスクワとのインターネット会談に臨み、移籍金1300万ユーロ(約13億円)プラス出来高200万ユーロ(約2億円)という新たなオファーを提示したのだ。
アッピア街道のヴィッラ・サン・セバスティアーノにある豪奢なオフィスにいながらにしての移籍交渉で、ロティートとターレは「これで交渉がまとまるはず」と踏んだのだが、CSKAサイドはそれでも首を縦に振らず、今度は分割払いの条件に注文を付けてきた。移籍と同時に800万ユーロ(約8億円)を、そして残りを今年12月末までに支払うよう求めたのである。
ラツィオにとって、これは厳しすぎる条件だった。イタリアのクラブで今回のメルカートに500万ユーロ(約5億円)以上の出費をしたクラブはない。財政難は何もイタリアに限ったことではない。他の国でも、それなりに大きなオファーでは分割払いが主流になりつつあるのだ。
(記事提供:CALCiO2002)